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Never be A Hopeless

YWCA

エスケープ


**2005年4月から7月にかけて、元亭主が起こした親権裁判の際に、ワタシがYWCAにお世話になった時のお話です**


去年の4月も終わりにさしかかったある日のこと。仕事から帰って来て急いで夕飯の支度をしていたとき、ドアをノックする音が聞こえた。

一体誰だべ?と思いドアを開けると、そこには見知らぬメキシカンのおっさんがヌボっ、と立っていた。

メキのヌボ親父は、『Neverbさんいらっしゃいますか?』と訛の強い英語で尋ねてきた。

ワタシは、おっ、誰かがなにかプレゼントでもおくってきたのかな、などと脈絡もなく思いながら、
『イエ~ス、イッツ・ミ~!』と、能天気に返事をしたのだが...。

するとそのメキおやじは、『これをあなたに持ってきました』と、言って何やら書類を差し出しました。

その瞬間、元亭主に離婚の書類をサーブした時の出来事が脳裏に浮かんだ。

これは間違いなく裁判所の召喚状だ。でも一体なんでワタシが訴えられたんか?ワタシを敵だと思っている人間は....ただ一人。元旦那に違いない。

この書類は受け取りさえしなければ、とりあえずは今は逃れられる。しかし、自宅の住所を知っているってことは、きっと勤め先も割れているのであろう。こんなヘボイ親父に会社にまでやってこられたら大迷惑だ。しかも、逃げ回っていてもいつかはつかまるしな。

ワタシは、思いっきりむかついた顔を作りながら、ヘボ親父から書類を乱暴につかみ取った。


親父を追い返し、書類に急いで目を通した。


....案の定、だった。


それは、元亭主が起こした、ロンロンの親権と面会権を要求する裁判に対する、返答をファイルするように、との裁判所からの召喚状だった。

ワタシは、ついに来たな、そう思った。


*******************

さて、裁判所からの召喚状を受け取ったワタシは、とりあえず落ち着くために、ビールを冷蔵庫から取り出し、一気に半分くらいあおった。
そして、ソファーに座り、召喚状に目を通し始めた。

*****

話しは前後するが、これに先立ってワタシと元旦那(D)は2004年の4月に離婚が成立していた。以前の日記に書いたが、離婚のファイルの受け取りまでにスッタモンダあった割には、Dは一度も裁判所には現れず、結局は彼の欠席裁判で事が進み、その結果当然の事ながら、ロンロンの親権(法的、身体的ともに)は、100%ワタシのものとなっていた。

そして、離婚が成立すると、ワタシはすぐにそれまで住んでいた、カリフォルニア南端の都市から、LAに引っ越しをしていたのだった。

引っ越しに際しては、ワタシはごく限られた人にのみ、転居先を教えていた。そしてその中にはRの母親も含まれていたのだった...。

*****

召喚状に目を通すに連れ、ワタシは自分のハラワタが煮えくり返り始めるのを抑える事ができなかった。

あのどあほう(D)は、自分が裁判所に一回も出頭しなかった事には一言も触れず、ワタシが勝手に息子を誘拐まがいでLAに連れて行ったとか、Dの母親を脅して(Dに居場所を伝えたら、彼女にも一切息子に会わせない、とワタシが言ったとか)、ワタシ達の居場所を隠すように言ったとか、Dは息子ととてもいい関係を保っていて、息子の世話を献身的に焼いていた、いい父親だ、とか....。


おいこら、おやじ。何をなめ腐った事をつらつら書いとんじゃい(怒)


人を馬鹿にするにもまったく程がある。
自分の父親としての権利を主張するべき第一ステージで、奴はそこに現れる事すらしなかった。外国人である、ワタシですら必死の思いで母親の権利を模索したのに、だ。子どもに対する思いがあるのは、お互い様だ。しかし、ひとたび離婚することで同意したのであれば、子どもにとって最善の道をお互いに探さなくてはならないのに。
Dのやっていることは、いじわるで、自分勝手なものだ。ワタシは、奴の真意がつかみ損ねた。

まあ、ここでそんな事を言ってても始まらない。だって、ワタシの意志ではないにせよ、権利を守る闘いは、再び火ぶたを切って落とされたのだから。

その日から、ワタシはまた、情報収集にかけずり回り始めたのだった。


********************

Dが息子の親権に関する修正を裁判所に申し立てた場所は、かつてワタシが奴と暮らしていた町だった。そこは、現在の居住地、LAから車で2時間ほど離れている。

裁判は、申し立てのあった場所で行われるため、ワタシは、かつて住んでいた町、SDにたびたび出向かなくては行けなくなったのであった。

ワタシはとりあえず、現在の居住地であるLAで弁護士を探した。予想通り私立の弁護士は恐ろしく高い。今回のケースは、素人のワタシがみても、元亭主に有利な条件は少ない、比較的簡単なケースと思われた。しかし、弁護士先生達は、まるで裏で取り決めがあるかのように、どいつに訊いても弁護士費用は一律$3000などとぬかしやがる(怒)。

また、米国の家族法は州法だから、カリフォルニアにいる限りは同じ法律下で裁判が進行するのだが、LAとSDでは距離の問題があるため、LAで弁護士を雇うと、弁護費用とは別に出張費用を請求されてしまう。

これじゃ話しにならん、と今度は無料の法律相談や低所得者用のリーガルクリニックに相談をしてみた。しかし、彼らはLAカウンティにいるため、SDのケースはとらないと言うではないか。まあ、もちろんそれはそうだろうけどさ。
訴訟の当事者同士が、あまりにも遠くに離れて居住している場合、裁判所に申し立てをすれば、裁判が行われる場所を変更する事も可能である(change of venue)。しかしながら、今回はたとえ車で2時間離れているとはいえ、日帰りで行けない距離ではないのだ。とどのつまり、change of venueが認められるとは考えられない。


そこでワタシは、一日仕事を休み、ロンロンを連れてSDまで出かける事にした。


心当たりはあった。以前、D(元旦那)との離婚の時にいろいろ集めていた情報が再び役に立つ時がきた。しかし、仕事もそうそう休めはしないので、一日で全ての心当たりをしらみつぶしに当たる事にしたのであった。


**********************

さて、SDでの当日。

早朝に到着したワタシ達は、ロンロンのベビーシッター、コニーの家に立ち寄り、コニーの妹にロンロンを預けた。
ワタシの事を心配したコニーは、自分も一緒に行く、と言ってくれた。やっぱりNative Speakerが一緒にいるのといないのではずいぶん違う。ワタシは喜んで彼女にヘルプをお願いした。

まず、ワタシとコニーは、ダウンタウンにある家庭裁判所に向かった。ここでは、毎週弁護士(family law facilitator)が無料で法律相談にのってくれる。しかしここは、早い者勝ちで相談にのってもらえるため、裁判所が開く前には、相談者の列が出来ている事がしばしばだ、と言う。ワタシ達は裁判所が開く時間ギリギリについたため、すでに、相談者の受付が始まっており、ワタシ達はウエイティング・リストに載せられた。運が良ければ相談する事が出来ると言うが...。

受付のオバサンに聞くと、ひとまず午前の部はいっぱいになったので、ウエイティング・リストに名前をのせておくから、午後一でここに戻ってこい、と言われた。

かなりがっかりしたが、まだ望みがないわけではないので、ワタシ達はとりあえず、電話で予約していた、ワタシが離婚の時に雇った弁護士、デビットに面会に行く事にした。

デビットは相変わらずデブだったが、人の良さそうな笑みを浮かべながらワタシ達を出迎えた。まあ、彼は悪い奴ではないのだが、何にせよ離婚の時はいい仕事をしたとはとても思えなかったので、今回はとりあえず離婚の時のファイルのコピーをもらい、少し話しをするくらいの気持ちで出かけた。

ところがこの金満弁護士野郎(失礼)、離婚のファイルのコピーは1ページに付き25セント(日本円で...30円くらい??)などとほざきやがる。何をふざけたことを、と思い、じゃあ外でコピーしてくるからちょっと貸せ、と言うと裁判所の書類などは簡単に外に持ち出す事は許可できない、とかなんとか言って、持っていかせようとしない。おまけに、もしもワタシが今回の親権訴訟で弁護士を雇うようであれば、その弁護士に直接書類を送る、とかわけわからん。
あげくの果てには、自分はワタシの離婚に関わったし、親権訴訟についても有利に持っていく事が出来るから、と、自分の売り込みに入りやがった。もちろん弁護料は$3000。ええかげんにせえ、とイライラする心を抑えつつ、納得がいかない気持ちをどうにも止められないが、なんせこっちも時間がない。
おまけにコニーは、$3000払って雇った方がいいかも、などとその気になっている。

こんなとこで油を売っていたら、破産してしまう!とおもい、ワタシはとりあえず離婚の書類にザザザっと目を通し、デビットの事務所をあとにした。
デビットの事務所から裁判所まで戻る道すがらは、問い合わせをしていたLAの弁護士事務所から何度も連絡があり、「ワタシ達に任せた方がいい」とか、「こういったケースは真剣に取り組まないと、後々大変な事になるから、実績のある我々に任せないか」とか、うるさいったらありゃしない!
弁護士ももちろん商売だから、必死でクライアントを獲得したいのだろう。しかしねえ、こんなケースに$3000はなんぼ何でもボリすぎだ(と、思う)。


そんなこんなで、その日の午前中はまったく持って収穫がなかった。

確かにこれはそこまで難しくはないケースだろう。しかし、法律関係の英語を、素人が一人でやろうとするのは絶対に無理がある。

ワタシはものすごーく焦りを感じていた。


*******

さて、午後一番で裁判所に戻ったワタシ達は、受付そばに座って名前を呼ばれるのを待った。

しばらくすると、白人のおばさんがロビーに現れ、Family law facilitatiorに相談する事の出来る人たちの名前を読み上げ始めた。
ラッキーな事に、ワタシの名前も呼ばれた。ワタシ達は、そのおばさんについて、迷路のような裁判所の中へ吸い込まれていった。

ワタシ達が通された部屋は、長テーブルが無造作に数個置かれ、コピーマシンや書類棚が置かれている、殺風景なところだった。

その部屋には、相談者が4組ほど、そして、それぞれの相談者に一人のFamily law facilitatiorが割り当てられた。

ワタシとコニーの前に座ったのは、ワタシ達をロビーに呼びに来たおばさんだった。とてもじゃないが、見た目は弁護士には見えない、フツーの冴えないおばさんだ。

おばさんは、ワタシに相談の内容について聞き、元亭主(D)にサーブされた書類を見せるように言った。
ワタシは、Dのいい分に対する反論を用意していた。奴が家族で暮らしていた時にして来た事、そしてしてこなかった事、息子に対する保護者としての無責任ぶり、ワタシに対するドメスティック・バイオレンスの歴史など、親権訴訟を有利に持っていくためになると思われた材料をおばさんに見せた。
しかし、このおばさん、ワタシの呈示した書類には目もくれず、Dの申請書に対してワタシがファイルすべき書類を持って来て、これに記入しなさい、と言うだけではないか。


そんなことは、webで調べればいくらだってわかるのだ。事実、ワタシはいろんな情報ソースから、必用と思われる書類は全てダウンロードし、プリントアウトしていた。

ワタシが求めているのは、自分の言い分を裁判でどうやって有利に持っていくかである。だから、弁護士(Family law facilitatiorは弁護士である)に相談しているのに...。相談にきていきなり、ここで必要な書類を書けはねーだろー...。

こりゃいかん。ここで慌てて記入して提出しても、いい事があるとは思えない。

ワタシはおばさんに、一回家に持って帰ってから提出してもいいか、と尋ねると、別にいいよ、と言われた。


ワタシとコニーは、再び何の収穫もないまま、裁判所をあとにした。


時間は既に、午後3時を回ろうとしていた。


*********************


早朝から出回っていたワタシとコニーは、裁判所を出ると、自分が泥のように疲れているのを感じた。コニーも何も言わなかったが、いい加減無口になっていて、疲れているのがよくわかった。

裁判所を出た時は既に午後3時を回っていたが、ワタシはもう一カ所、手を貸してくれるのではないか、と思われる場所に向かう事にした。その場所は、裁判所から車で約5分ほどの場所にある、YWCAだった。ワタシはコニーにYWCAのあるビルディングまで送ってもらい、彼女にはひとまず家に帰ってもらう事にした。

SDのYWCAでは、週に2回、ドメスティック・バイオレンスがらみの法律問題の無料の相談をやっている。そしてワタシがSDにいたその日は、法律相談が午後3:00から6:00まで行われていた。

実は以前、元亭主・Dとの離婚弁護士探しの際に、そのYWCAに出向いた事があった。しかしながら、そのとき出会った、相談員の弁護士はワタシの話しをあまり聞いてくれず、力を貸してくれなかった。まあ、あの頃は今ほど英語力もなかったし、向こうもワタシの言っている事があまりよくわかっていなかったのかもしれないが....
とにかく、YWCAが果たして力を貸してくれるかどうかは、かなり不安なところだったが、いかんせん、他にもうあてもない。

YWCAのあるオフィスにつくと、ロビーに数人の女性が座っていた。ワタシは、名前を受付の用紙に記入し、自分の順番を待った。

待つ事20分くらいだったろうか、オフィスの中から、背の高い金髪のショートヘアの女性が現れ、ワタシの名前を呼んだ。よかった、前ここに来たとき話をした弁護士の女性とは別人だ。彼女はワタシを自分のオフィスに招き入れ、握手をし、椅子を勧めながら、名前はケリー(仮名)だと、名乗った。


ケリーは、Dが裁判所にファイルした書類に目を通しながら、ワタシがその日、YWCAに来た理由、相談内容をゆっくり時間をかけて聞いてくれた。ワタシは、話しをしながら、少しずつ自分の気持ちが落ち着いていくのを感じていた。

**********************

ケリーは書類に目を通し、ワタシの話しを聞き終わると、

『あなたの元ご主人は、裁判所にお子さんの親権に関する修正を申し入れているわよね。あなたはD(元亭主)の言い分を受け入れてもいいと思っている?』と、尋ねてきた。

『とてもじゃないけど、そこに書かれている事は事実に反する事だし、彼と子どもの親権を共同で持つのは、いいアイディアではないと思います。』

『ではこれから、Dの言い分に対して、Neverb側の見解を述べると言う形で、あなたの宣誓書と裁判所に提出する書類の作成をしましょう。それから、このYWCAの法律問題に関するサービスは、低所得者向けのリーガル・エイドなの。基本的に、裁判所に提出する書類の作成には、$25払ってもらっているの。だけど、あなたに$25払う余裕がないのであれば、払う必要はまったくないのよ。』


.....たったの$25!!

アメリカには、裁判所に提出する書類の作成代行サービス業がある。弁護士を使うまでもなく、簡易な訴訟を行ったり、離婚調停のための書類を作成してもらう時に米国ではよく利用されているサービス業だ。しかし、このサービスも、軽く数百ドルはする。しかし、ケリーはあっさりと$25と言ってのけた。しかも、払えなければ別に払わなくていい、とまで...。

更にケリーは続けた。

『私達は、ドメスティック・バイオレンスの被害者救済のための法律問題を扱っているの。今回の場合も、あなたには過去にドメスティック・バイオレンスを受けた経緯がある。あなたには、私達のサービスを受ける十分な資格があるわ。私達は、よほど大きな案件でない限り、クライアントを代表して働く事(pro bono)はないの。だけど、あなたがこのケースを有利に進められるように、準備を進めましょう。』

要するに、ワタシは法廷で弁護士を立てずに自分で意見を述べ、自分の事を擁護しなければならないと言う事だ。しかし、離婚や親権訴訟の多くは、実際に自分が裁判官の前に立つのは1回で終わる(詳しくは後述します)。それまでには、弁護士抜きで、調停人に会ったりしなければならないのだ。つまりは、実際に弁護士が表舞台に立って、ワタシの代わりに議論をするのは一回こっきりってこと。それ以外は、これからケリーがワタシと一緒に作成する、宣誓書ならびにDがファイルした書類に対する、返答書類の準備、そして調停前の打ち合わせが主な弁護士の仕事なのだ。(もちろん、離婚や親権訴訟が複雑化する事は多々ある。その場合は、素人の手にはとても負えなくなるけれどもね。)

ワタシには、書類の作成が大きなネックになっていた。必要な書類の種類はわかっていたが、何をどういう風に記入するか、そしてどうやったらRの言い分に対する効果的な反論になるのか、そこがとても難しいところだった。

その仕事に対して、私立の弁護士達は、$3000チャージしようとしていたのである....。ケリー達は、ワタシの代わりに裁判官の前に立って議論する事はないのだが、それくらいは相手が弁護士でなければワタシにだって出来る。元亭主、Rは裁判所に『in pro per(自分で自分の事を代表する事、つまり、弁護士を立てていない)』で書類をファイルしている。て、事はワタシの相手はDだ。
あんな奴に負ける気は全くしなかった。だから、ケリーがワタシの代わりに法廷に立てないとしても、特に大きな問題とは思わなかったのであった。


ワタシは、とりあえず財布の中を覗き込んだ。すると、$20札が二枚あった。ここで、$15おつりをくれ、と言う気は全くなかった。$40払っても安いくらいだ。ワタシは、$20紙幣を二枚ケリーに渡し、全額を寄付として扱ってくれ、と頼んだ。たったの$40だっだけど、ケリーはにっこり微笑み、これで他のドメスティック・バイオレンス被害者を救うことができるわ、と言ってくれた。

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さて、D(元亭主)からサーブされた書類に目を通したケリーは、ワタシ側の立場から裁判所に提出する書類の作成に取りかかった。
彼女はワタシとロンロンの現在の住所、電話番号、ワタシの勤め先、ロンロンの学校、デイケアなどのインフォメーションはすべてコンフィデンシャル、すなわち公にはしないものとして書類に登録した。そして相手方、もしくは裁判所の連絡先として、YWCAの電話番号および住所を記入した。

YWCAのタイトルのところには、「DV Adovocacy(DV被害者保護団体)」の文字もきちんと記されていた。

ケリーはワタシの意見として、あくまでもロンロンにとって一番いい事は、現在のワタシ達の居住地であるLAで、彼の学校、放課後、そして週末のセラピースケジュールを守りつつ、変わらぬ生活を続ける事である、との立場から、Dのファイルした書類に対する返答書類を作成した。

ロンロンが自閉症である事、ワタシがLAに引っ越しをしたのは、昔の居住地であるSDよりも特殊教育制度に定評のある現在の学校区がロンロンには適している事、また、ワタシのLAでの仕事はSDでのそれよりも稼ぎになる事、そしてDが結婚生活中、そして別居後に見せた子供に対する無責任さを要所要所で織り交ぜながら、ロンロンの親権は母親であるワタシが持つ事が現時点では適している、という結論を導いていった。

そして、ワタシの論拠を証明するものとして、ロンロンがLAに引っ越してから見せて来た進歩の度合いを示す、成績表、学校の先生の評価、セラピストの評価などを証拠書類として提出する事にした。


ケリーは、Dがこうやって行動を起こした以上、こちら側も歩み寄る姿勢を見せた方がいいが、いかんせん、Dは自閉症であるロンロンのケアに慣れていないし、ロンロンもDに対して警戒心を見せるだろう、と言った。(ケリーは、DVの専門家でありながら、特殊教育事情にもある程度精通しているようだった。その事はワタシにとってとても助けになるものだった。)

Dがロンロンの父親である事は一生変わる事のない事実。これまで父親らしいことは、ほとんどと言っていいほどしてこなかった男だが、息子に会いたいと言う気持ちはわかる。だけど、いきなりあの男と、軽度ではあれ自閉症がある息子を二人きりで会わせるのはどう考えても無理がある。なんと言っても、Dとロンロンはその時で2年近く顔を会わせていなかったし、もちろん電話や手紙などのコンタクトもなかったのだから。

そこでワタシは、Dがロンロンに会いたいのであれば、監督者付きの面会権であれば許可してもいいと言う事を、書類に記入する事にした。その監督者も、お互いの家族や友人ではなく、いわゆる専門の監督者がいるエージェントでの面会に限定する、と付け加えた。


そこまでするんかい、と思う人もいるかもしれない。だけど、そこまでやらなければ、息子の安全は保障されないのだ。過去の経験から、ワタシは何一つDがやろうとしている事が信用できなかったから...。


また、ケリーは裁判所の心証を良くするために、ワタシがロンロンとDとの交渉を妨げていない事を見せるために、Dがロンロンと連絡を取りたければ、ワタシの電話番号や住所を教えるのはどうしても抵抗があるけれども、もしもDがプリペイドの携帯電話をロンロンに買い与えるのであれば、二人が電話で連絡をとっても別にかまわない、と言う事を付け加える事を提案した。ワタシは、別にワタシの個人情報がDに知られるのでなければそれもかまわないと思い、彼女に同意した。


そうして彼女は、ワタシ側の裁判所のフォーム、そして宣誓書を作成し終わると、それらとともに裁判所に提出するべき証拠書類(ロンロンの成績書など)を出来るだけ早く用意し、彼女宛送るように、とワタシに指示をした。

そして彼女は最後に、『Neverbの話しと、あなたが用意する書類からみて、このケースはあなたにとても有利なものだと言えるわ。絶対の保証は出来ないけれども、大丈夫、そんなに心配する事はないわよ。』と、力強く言ってくれた。

ワタシはその一言を聞いて、『ありがとう。今日は一日中駆け回っていたけれども、やっと心から安心する事が出来ました。本当に本当にありがとう。あきらめずにここに来てよかったです。』と言って、ケリーと固くハグをし、ようやくYWCAを後にした。


ケリーのオフィスを出てからふと時計を見ると、すでにの夜の7時を回っていた。どうやらワタシはYWCAで3時間以上過ごしたらしい。身体は鉛のように重たかったが、心は朝とはうってかわって軽やかな気持ちになっていた。

************

カリフォルニア州で家庭裁判所に親権問題や離婚訴訟をファイルすると、実際に裁判官の前で議論を行う前に、調停員との面談(メディエーション、調停)が義務付けられている。訴訟の当事者同士が第三者を挟み、財産分与や子供との面会のスケジュールなどを話し合い、調停員が裁判官に彼らの意見としての推薦状(リコメンデーション)を提出するのだ。
裁判官にもよるらしいが、離婚や子供の養育費、面会権などの訴訟は、この調停でのリコメンデーションをほぼそのまま、判決として採用することが多いらしい。すなわち、今回の親権訴訟も、実際に裁判官の前で弁論をすることよりも、この調停の方が大切なのだった。

調停の日は、元亭主・Dが訴状を裁判所に提出してから30日後に設定してあった(と思う)。ワタシがケリーのところに出向いたのが、ワタシがファイルを受け取ってから1週間後。すなわち、三週間後にはワタシは再びSDの裁判所に出向き、Dと調停に挑まなくてはならないのであった。

ケリーは、調停の前にすべての書類を裁判所に提出し、調停員に調停に先立ちすべての書類に目を通すことを要請すると言った。そうすることでワタシのおかれている状況、そして過去のいきさつを調停員にインプットしてもらうことができるから、調停の流れもこっちの意図にもっていきやすくなる、との事らしい。

また、調停は基本的に調停員をはさんで当事者同士が相対することになるのだが、ワタシの場合は過去にドメスティックバイオレンスの歴史があるし、ワタシ自身、調停員がいるとはいっても、狭い部屋でRと一緒になるのはいやだった。そこでケリーは、Dと別々に個別調停を行うことを申請するといった。これは、ドメスティックバイオレンスの被害者が、加害者に対するリストレイニング・オーダー(DVの加害者が一定の距離以内に被害者に接近することを近じる命令書。法的拘束力がある)をファイルしている場合などに認められるらしい。
ワタシはDに対してこのリストレイニング・オーダーをファイルしていなかったので、個別調停が認められるかはわからなかったが、ケリーはとにかく主張してみよう、と言った。


さて、三週間が経過し、ワタシは再びSDの家庭裁判所に到着した。この日はあいにくケリーは所用でワタシに付き添うことはできなかったが、ワタシのアメリカのビッグ・シスター、コニーが再び付き添いを名乗り出てくれた。そしてワタシたちは調停が行われるオフィスまで行ったのだが....。

オフィスにはその日の調停に臨む、もともとは夫婦や恋人同士であっただろう男女が約20人ほど集まっていた。ワタシとコニーは時間よりもやや早めに到着したが、Dの姿はそこになかった。ワタシは緊張で胸がバクバクいっていた。やがて調停開始の時間になったがまだDは現れない。そのうち、各調停員が現れ、各カップルの名前を呼び、彼らとともにオフィスの中に消えていき始めた。
そしてワタシとDの名前も呼ばれた。ワタシはとりあえず名前を呼んだ調停員の元に行き、相手方のDが到着していないことを告げた。調停開始予定時間は午前10時。実際に調停員に名前を呼ばれたのはもう11時も近かっただろう。

ロビーにはワタシとコニー以外は残されておらず、調停員の女性は、相手方が現れない以上、調停は行えない、と申し訳なさそうに言った。


全くいったいなんなんだろう。


ワタシは今回の調停のために会社を休み、朝早くLAを出発し、高いガソリン代を費やして片道二時間の距離をぶっ飛ばしてきたのだ。

そもそもこの訴訟をファイルしたのはあのドアホウ(D)だ。てめえ、子供の親権がほしかったんじゃねーのかよ!てめえは養育費も払っていなくせに、ワタシが仕事を休んだらその分金が入ってこないこと、無駄なガソリン代使わなくちゃならないことがどうしてわからないんだよ!!
ワタシが金稼がなければ、ロンロンを屋根の下に寝かせてあげることができなくなるのがどうしてわかんないのかよ!!!
無駄に仕事やすませてんじゃねーよ、この度腐れ外道が~!!


・・・・失礼しました。

まあ、そんな悪態をついたところで何が変わるわけでもなかったが、調停員が言うには、調停をすっぽかすことは裁判官の心証を悪くすることに他ならない。調停をすっぽかすと、裁判官にもよるけれども、罰金として$50~1500(ちょっと記憶があいまい)程度を課されることがあるという。しかし、これは完全に裁判官次第らしい。

また、調停員は調停はカリフォルニア州法で決められていることだから、おそらく裁判官は再度調停を命令するだろう、といった。本来、調停は裁判の前に行われるのだが、ワタシたちの裁判の日付は調停から2週間後に設定されていた。そのため、裁判の前に再度日程を設定するのは無理だから、恐らくワタシはもう一度調停のためにSDに出向かなくてはならないだろう、とも言った...。


なんだっちゅーねん。

ワタシは怒りが収まらなかったが、今回のことはDにとって滅茶苦茶不利に働くことは間違いない。どうせならあの大馬鹿野郎に罰金を課してほしい。あいつは養育費すら払えないのだから、罰金なんてぜ~~~~~ったい払えっこない。そうなったらあやつは二度と裁判所には現れまい...。

しかしここで何を言っても仕方ないので、ワタシとコニーはぶつぶつ言いながら、でもやっぱりDはヘタレだ、恐れるには足らん!とゲタゲタ笑いながら裁判所を後にしたのだった。


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さて、元亭主Dがすっぽかした調停の日から2週間後、ついに裁判当日がやってきた。裁判の場所はもちろん、LAから二時間はなれたSD。ワタシとロンロンは早朝に自宅を出発し、ロンロンをベビーシッターに預けたあと、ビッグシスター・コニーとともに、ダウンタウンにある家庭裁判所に向かった。

裁判の前日、YWCAの弁護士、ケリーと打ち合わせをしたのだが、彼女が言うには判事は十中八九我々のケースを調停に差し戻すだろう、といった。担当の判事にもよるが、調停を当事者の一方がすっぽかした場合、判事はすっぽかした当人にその理由を尋ね、場合によっては罰金を貸すなどの制裁を加えるが、ほとんどの場合は、再調停を命ずるらしい。
そのため、今回の裁判では、再調停を命じられる以外大きな動きはないと思われる、との事だった。
ケリーは、判事に対して今回Rが調停をすっぽかしたことに対するワタシの意見を述べ、判事にDに対する心証を与えるという意味で、ワタシの意見を述べてみたら、とアドバイスした。そして、調停をすっぽかしたってことは、裁判当日もすっぽかす可能性はあるから、それはそれで、やつの欠席裁判ということで、すべての決着がつく(子供の親権は母親であるワタシが持つ。今までとなんら変わらない)、とも言った。


さて、裁判当日。

裁判開始時間より早めに到着したワタシとコニーは、裁判が行われる部屋の前に行った。そこには背が無駄に高く、やせた黒人の男が長いすにちょこんと座っていた。ええ、Dは現れました。
Dと相対するのは最後に奴と合間見えてからおよそ二年の月日が経っていた。心の傷はずいぶん癒えたとはいえ、奴をまじかで見るのはやはりいい気分ではない。こいつのために、たくさんの痛い思いをした日々が一瞬よみがえり、ひるむ気持ちもあった。だけど、今日は判事の前で自分の意見を述べなくてはならない。

Dはワタシとコニーの姿を見ると、すっ、っと目をそらし、二度とこちらを見ようとはしなかった。
一度は心から愛した元亭主のはずなのに、そのときの感情がまったく思い出せない。奴に対する感情は完璧にマヒしているようだった。


(つづく)



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